【第3章】自由に仕事する時間とストレスのないドイツ生活。出した成果で博士号も取得!

自由山の頂上で両手を広げる男
浦上

こんにちは。企業の研究職として働きつつ、投資10年で800万円を稼ぎだした浦上といいます。

投資で利益を出し始めたころの話や、投資の話以外にもドイツで博士号を取ったときの話など、今までの経歴や実績をまとめています。

 

第2章までのあらすじ

自分のスキルで自由に働くことに憧れ、

上場企業の研究者になったものの、現実は理想とはほど遠く、

上司から怒鳴られつづける毎日

それでもあきらめず努力を続け、

ドイツのミュンヘン工科大で1年間の研究をするようその上司から命ぜられる。

第3章はドイツでの研究がスタートしたところから始まります。

それでは、楽しんでお読みください。

1.平日は充実。休日はヨーロッパ旅行

我慢の4年を経て、ついにドイツでの研究が始まりました!

正直信じられなかったです。

これから1年は自分一人で研究を進めていくことができるなんて。

上司との接点は、月1回報告書を書いてメールで送る。

それだけです。

ずっと同じ部屋にいる状況と比べたら圧倒的に自由です。

 

ドイツに来てからの最初の数ヶ月は、ポスドクに相談しつつ、研究に必要な機械の使い方や研究室のルールなどを覚えていきました。

ポスドク(Postdoc:Postdoctral Researcher):日本語に直訳すると博士後研究員。博士号を取得したのち研究職として大学の研究室などに職を得ている人。ゆくゆく教授を目指している人たちともいえる。その研究室のポスドクは教授と学生の間にいる中間管理職みたいな感じでした。

その数ヶ月が過ぎたら、だいたいのことは一人でできるようになり、自分で考えたプランやスケジュールで研究を進められるようになりました。

困ったことが起きたり、新しいことを試したりする場合はポスドクや教授に相談するかたちです。

自分のペースで進めてポスドクも教授も何も言いません。

誰も怒りません。

 

やっと俺の欲しい環境が手に入ったぞと思いました。

怒られないために頑張って仕事するなんて、そもそもおかしいと思ってたんだと。

上司や同僚に悪く思われないための残業や、やる必要があるかどうかもよくわからない仕事からやっと解放されたと思いました。

そしてそこから半年間、ちゃくちゃくと研究を進めていきました。

 

そのあいだの週末や連休にはドイツ国内はもちろんのこと、いろんな国に旅行しました。

 

住んでいたミュンヘンの中心部マリエン広場
↓↓↓

ミュンヘン マリエン広場

 

例えば、週末にミュンヘンから飛行機で数時間飛んでイスタンブールまで行ってしまったり、
↓↓↓

イスタンブール ガラタ塔から沈む夕日を見る

 

ベネチアに金曜の夜から寝台列車で行って、土曜一日観光など(帰りも寝台列車)、
↓↓↓

ベネチアのグランカナルの景色

 

充実した毎日でした。

 

2.しかし、自由に仕事するということは甘くはなかった

でも期限の1年が近づいてくるにつれ、私はある事を認めざるを得なくなってきました。

この研究は1年では終わらない。

当初の予想よりもずっと難しい研究でした。

ある研究がどれだけ難しいか、どれだけ終わらせるために時間が必要かは、スタートしてみないと計算できないことも多いので仕方がないといえば仕方のないことです。

 

それでも、たいした結果も出せずにこの研究はこのまま終わってしまうのかと思うと残念でなりません。

そこで、残り2カ月を切ったくらいのタイミングで思い切ってメールで上司に相談してみました

1年では終わらないから期間の延長をお願いしたのです。

やってみもしないであきらめるというのが嫌だったから、ダメでもともとのつもりで頼んだだけで、実はあんまり期待してはいませんでした。

むしろ「期間内で終わらせられないとは何事だ!」と激怒のメールが帰ってくると思ってました。

 

が、

From'上司'
とりあえず会社として延長は3ヶ月だけは認める。それで終わらなければ帰国して日本で進められるだけ進め、ドイツでしかできない部分がまだあったら、またドイツに短期間出向すればいい。

という回答でした。

 

びっくりしました。

それなら終わる」と思いました。

あの怒ってばかりの上司がうまく社内調整してくれたのです。

さらに1年その研究は続け、

2年で無事終わらせることができました

 

3.研究で成果を出し、ドイツで博士号も取得

難しい研究だったぶん新発見もあり、
特許を5件取得しました。

英語で論文を2報書き、ドイツで開かれた国際学会で口頭発表もしました。

発表が終わった後は有名な各国の先生がたが何人も私のところに来て握手を求めてきました。

 

さらに、ミュンヘン工科大で指導してくれていた教授からは研究がすべて終わったあとに

この内容だったら博士号が取れるよ。

と言ってもらえました。

ここから数年後に私は150ページの博士論文を英語で書き上げ、その先生から博士号を授与されます。

博士になって大喜びの人

 

こうしたことも何もかも、あの上司が研究を立ち上げて、うまく進むように社内での調整もやってくれたからなんだよなと、このときは思ってました。

日本に帰ったら、前よりもいい関係が作れて、ドイツでの研究と同じように充実した仕事を日本の会社に戻ったあとも続けることができるのかもしれない。

そんな淡い期待もいだいていました。

 

4.ドイツから帰国。会社で感じる違和感

でも、ドイツから帰国して会社の業務に戻ってきたあとも、やっぱりその上司は以然と変わらず怒ってばかりでした^^;

ただ、そのドイツでの研究に関する案件が出てきたときだけは、急に冷静になって頭がまともに働くかのように見えました。

その上司にとっても、思い入れの強い研究だったのかもしれません。

 

それでも、ドイツでじっくりと自由に研究をして結果も出すという目標はもう達成しています。

そして、もう同じような充実した時間はこの会社では持てなさそうだと感じはじめていました。

そうなると、我慢する理由もなくなってしまい、その上司とつきあうのはこれ以上ムリだと思うようになってきました。

 

確かに、そのドイツでの研究がうまく進むようにあっさり社内調整してしまう力もある人でした。

それでも、そんな毎日怒っている必要あるのかなと思わずにはいられませんでした。

部下に怒鳴ることがもちろん多いんですが、ちょっとした間違いで飲み屋の店員さんを怒鳴りつけたりするのも嫌でしたね。

 

社内を見わたしてみても、ほかの偉くなっている人も、社内で評価が高い人も、やはり怒ってばかりの人が多い。。。

もともと温厚な人も無理やり怒ってたりします。

怒ることで部下に恐怖を与え、

思い通りに動かせる人間が偉くなる。

つまり、怒ってばかりいないと出世できないし、自分の地位も守れない。

そういう会社に思えてきました。

今となって考えてみれば、そのとき働いていた部署にはそんな空気があったと思いますが、会社全体を見わたしてみれば、お世話になった人もたくさんいましたし、能力のある人も、親切な人もたくさんいました。そもそもドイツでの博士号取得も支援してくれた会社です。ドイツの環境とはあまりに違ってしんどかったので、そのときは視野も狭くなっていたかもしれません。

 

自分が怒られるのも、

怒ってばかりの上司に自分がなるのも、

どっちもゴメンだと思いました。

そもそも自由な働き方がしたかったんです。

怒られ続けるのも怒り続けるのも、私の欲しい物とはかけ離れています。

 

ただ、転職してほかの会社に行ったとしても、入社してみたらまた同じような文化の職場だったなんてこともありえます。

それで、この会社で仕事をしながら、別の収入源を得る方法はないものかと考え始めました。

そして、英語の勉強の参考になるかもしれないと思って買った本の中に、その別の収入源の話を見つけました。

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