
こんにちは。企業の研究職として働きつつ、投資10年で800万円を稼ぎだした浦上といいます。
投資で利益を出し始めたころの話や、投資以外でもドイツで博士号を取ったときの話などのプロフィールを紹介しています。
中学時代、200万円も親が自分の塾に使っていることに気づいたことから、
1年だけ猛勉強して早稲田・慶応の両方の高校に合格。
大学では文系に進むつもりでいたが、
何かスキルを身につけて働くことを目指し、
理系に進んで研究者になることを決心。
その後、研究職として一部上場企業に就職。
第2章では研究者として企業で働くことになったところから話は始まります。
それでは、楽しんでお読みください。
1.怒鳴りまくる上司
「いったいどうしてこんなに怒られるんだ・・・?」
じっくりと製品開発に打ちこむ研究生活!
のはずが、配属されてしばらくしたらもう上司に怒鳴りまくられる毎日でした。。。
その上司はとにかくお前のことが気に入らないから、何でもいいからケチをつけられそうなところを見つけて怒りたい様子でした。
私もわけがわからずいちいち言い返していたので、毎回言い争いになりました。
そうしたら上司はますます私のことを嫌うようになり、部署の中で自分だけは細かいことを注意される状態。
ずっと監視されている感覚なので会社に行くのがすごく嫌でした。
ただ、今となっては想像もできます。
私は研究職というものは、じっくりと研究を進めていくもので、かなり自由に仕事できるイメージを持っちゃってたんです。
実際、大学の研究室で学生として研究していたころは今思えばのんびりしていて、自分のペースで研究を進めることがある程度認められていました。
まあ理系の学生は卒業するために研究成果をある程度出さないといけないので、のんびりしてても結局自分に返ってくるからなんですが。
一方で、利益を出すために会社は社員に毎月給料を払っているので、当然少しでも早く研究を進めて、一つの商品を作るのにかかるコストを少なくしたいはずです。
だから研究職にもなるべく早く結果を出してほしいわけです。
私は研究職というのは自由にじっくりと腰をすえて仕事ができる職業だと思いこんじゃってますから、その上司は「あいつはいつもチンタラしやがって!」という気持ちになって怒鳴っていたんでしょう。
でもその時は全然わかっていません。
「嫌な上司に当たっちゃった。。。なんて運が悪いんだ。俺は」
とか思っていました^^;
2.会社員でいながら自由になる計画
とはいえ、この会社で求めていた環境は手に入らないとだんだん認めざるを得なくなってきました。
かといって、きっぱり転職を決断することなんてこともできません。
ほかの会社に行っても似たような環境でしょうし、会社をやめることは逃げることという悪いイメージも持ってました。
そんな風に悩んでいたとき、会社をやめずにじっくり自由に研究ができる話が急に降ってきたんです。
その上司がある飲み会の席で、
ドイツのミュンヘン工科大学と1年かけて共同研究をやりたい
と突然言いだしたのです。
担当者は1人。
私の部署から選ぶが、誰にするかはまだ決めていない、ということでした。

日本から遠く離れたドイツまで行けば、少なくとも上司の怒鳴り声を直接は聞かずにすみます笑
じっくりと自由に研究を進められることでしょう。
「担当は俺にしてほしい!」と思いましたが、なるべく顔に出さずコメントもせず平静をよそおいました。
その上司は「すべて自分が決める! 部下の言う通りになんてしない!」という感じのボスっぽい人でした。
だから、「私に行かせてください!」とか言ったら、逆に「生意気な!」と思われて担当から外されそうに思ったんです。
それから、その上司に担当に選んでもらえるよう計画を立てて、こっそり実行していくことにしました。
3.自由になるための3つの努力
まず1番目に必要だったのは英語です。
通常、ミュンヘン工科大のような世界トップクラスの大学の研究室で英語を話せない研究者はいないので、ドイツ語会話までは必要ありません。
しかし、学生時代は外国にまったく興味がなく、日本の会社で一生働くんだろうと思っていましたし、英会話の勉強なんてぜんぜんやってませんでした。
大学の同級生の中には「これからの時代は英会話が必要だ!」とか言って必死で勉強してる人もいましたが、なんだトレンドに流されちゃってとか思って少しバカにしてました(嫌なやつですね笑)。
そんな私に英会話が必要な状況がやってきてしまいました^^;
ただ、必要な英会話力は研究の相談がドイツ人とできる程度でいいだろうと見積もりました。
そのために一番足りないのは英語を聞き取る力だったので(まったく聞き取れませんでした。英語は全部「ゴニョゴニョゴニョ」にしか聞こえないレベル笑)、リスニングを徹底的に鍛えました。
お金もかけられないのでCD付きの英会話参考書を買ってきて、聞き取れるまでCDを聞き、よどみなく話せるまでCDのマネをして発音練習もしました。
その参考書は初級・中級・上級とあって、それぞれ500ページくらいずつあるのですが全部やりました。
かかったお金は5~6000円です。
(ちなみに、ドイツから帰国したときに試しに受けたTOEICのスコアは880点でした)
2番目に、一人暮らしを始めることにしました(まだ実家暮らしだったのです笑)。
実家で親に面倒を見てもらいながら暮らしたことしかない人間が、遠く離れたドイツに行って一人で暮らせるはずないですからね。
これは始める前は難しそうと思っていましたが、金銭的には苦しくなりましたが、やってみたら大したことはありませんでした。

最後の3番目に、私を嫌っているその上司に信用されないといけないと考えました。
会社のお金を使って、信用していない部下を外国に1人で行かせる上司なんていません。
選んだ上司の評価にも関わりますからね。
そして、その時点では私は信用されていませんでした。
これが一番しんどかったです。
その上司の言うことには毎回納得がいかなかったので(そんな細かいこと気にするなよ! とか思ってました笑)、いちいち抵抗していたんですが、言われたことは何でもやってみることにしました^^;
毎回何かやるよう言われるたびに「そんなことしても意味ない・・・」と思うんですが(そして実際やってみて本当に意味がなかったと思うんですが笑)、気持ちを押し殺して「なるほど^^」とか言いながら全部やりました。
ずーっと嘘をつき続けている感じなので苦しかったですね^^;
そうしたらだんだんと、その上司は難しそうな仕事やイレギュラーな仕事が来たら私を抜擢するようになりました。
どの仕事も自分に回って来る感じがしてしんどかったですが、ドイツで自由に仕事するためだと思って我慢してやりました。
そして、その生活を続けて、4年がたちました。
私はミュンヘン工科大への出向を命ぜられました。
期間は1年間。
4年我慢して1年の自由を獲得しました^^;
続きを読みたい方はコチラからどうぞ!
研究職に対するイメージに期待を頂いだけに……
会社に入った時は、失望を禁じ得ない状況になったわけですね。
確かに漠然としたイメージでは、自由にしっくり腰を据えて仕事が出来るような感じはしますね……。
その当時の上司の性格も怒る事しかしない嫌味な性格な事もあるでしょうが、
「あいつはちんたらしやがって!」という気持ちになってしまうのも仕方がないような
上司から見てノンビリに見える態度をとってた可能性は否めませんね。
上司の性格を考えて、積極的にドイツに行きたいという態度は表向きは見せず、
影でどんどん行動開始したのは賢明でしたね……。
なお、ドイツ語を話せなくても英語でオッケーだったんですねぇ。
一からドイツ語やるのは骨が折れますよね。
英語は、聞き取りが苦手です。単語を全部繋げて話してはっきり聞こえません。
ぼんやりしたイメージで若い頃に突っ走ってしまったという感じです(^^;
最初はなんで怒ってるんだろうとか思ってましたよ(笑)
自分で選んだと思わせないと無理でしたね。
英語は自分も単語を繋げて話すようにすると
だんだん聞こえるようになってきましたね^^